東京高等裁判所 平成6年(行コ)195号 判決 1995年11月29日
控訴人(原告) 裴昭和
被控訴人(被告) 国
主文
一 原判決を取り消す。
二 控訴人が日本国籍を有することを確認する。
三 訴訟費用は第一、二審を通じて被控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
控訴人は主文と同旨の判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求める。
第二当事者の主張及び証拠
当事者双方の主張は、次のとおり当審における法律上の主張を付加するほかは、原判決事実摘示(原判決の事実及び理由第二「事案の概要」)のとおりであり、証拠の関係は本件記録中の証拠の目録(原審・当審)に記載のとおりであるから、それぞれこれを引用する。
一 控訴人の主張
出生する子の父及び母の婚姻の存否、母が外国人であることは、出生する子にとってはその社会的な地位又は身分にあたる。したがって、国籍法二条一号について、子の母が日本国民であるときは当該子は日本国籍を取得するが、母が外国人である場合には、出生後の認知により日本国民である父と非嫡出親子関係が成立していても日本国籍を取得しないと解釈するのは、人をその社会的な地位又は身分により、合理的な根拠もなしに不平等に扱うものとして、憲法一四条一項に違反し、また同時に憲法二四条二項にも違反することとなり、許されない。さらに、そのような扱いは、わが国が批准した児童の権利に関する条約二条二項の趣旨にも反する。
二 被控訴人の反論
憲法は、出生による国籍の取得に関して特定の原則を採用すべきこととしていないから、生地主義又は血統主義のいずれを採用するか、血統主義を採用するとしても、出生の場所、父母の双方が日本国民であるか否か、出生により重国籍となるか否か等により国籍の取得を制限することとするかどうかは立法府の裁量に委ねられたものと解すべきである。そうすると、国籍法が、嫡出子であるか非嫡出子であるか、非嫡出子であるとしても、日本国民である者がその父であるか母であるかにより国籍取得の要件を別にしているのも、原則として血統主義を採用しながら、自国の構成員とするのに適当であるか否かの価値評価の観点から国籍取得に一定の制限を加えようとする立法政策の帰結であり、憲法一四条に反しない。また、控訴人は、憲法二四条二項をも取り上げるが、認知等の身分行為に伴い、妻又は子の意思に基づかないで当然に子の国籍に変更を生じさせることこそ憲法二四条の精神に合致しないものであり、現行国籍法が認知による国籍取得を認めないこととした理由もここにある。なお控訴人が挙げる児童の権利に関する条約の当該規定は個人の具体的な権利について定めたものとみることはできないから、裁判規範として直接適用することができないものである。
理由
一 当裁判所は、控訴人の本件確認の請求は理由があり、認容すべきものと判断する。その理由は、以下のとおりである。
1 本案前の争点について
この点についての当裁判所の判断は、原判決理由説示(原判決の事実及び理由第三「争点に対する判断」の一)と同じであるから、これを引用する。
なお、本件にあっては、後に判断するとおり、控訴人が日本国籍を有するものとされる結果、本案前の争点も解消されることになる。
2 本案の争点について
(一) 日本国民である篠瀬幸夫(以下「篠瀬」という。)と韓国国籍を有する裴仙和(以下「仙和」という。)は、平成元年三月二八日に婚姻したが、平成二年六月ころから別居し、平成四年一一月四日に協議離婚の届出をしたこと、仙和は平成三年ころ日本国民である吉野博昭(以下「吉野」という。)と知り合い、篠瀬との婚姻中である平成四年九月一五日に控訴人を出産したこと、平成五年六月二日、篠瀬と控訴人の間に親子関係が存在しないことを確認する家庭裁判所の審判が確定し、同月一四日、仙和は控訴人の出生届を、吉野は控訴人の認知届をそれぞれ東京都江戸川区長に提出し、各届出が受理されたことは、原判決が判示するとおりである(当事者間に争いのない事実及び甲第一号証によって認められる。)。
(二) そこで、右の事実に基づき、控訴人が日本国籍を取得したと認められるかどうかについて判断する。
(1) まず、控訴人は、控訴人が篠瀬の嫡出子として出生したことにより、日本国籍を取得したと主張するが、その主張の採用し得ないことは、原判決の説くとおりである(原判決書八枚目表九行目から九枚目裏七行目まで)から、これを引用する。
(2) 次に、控訴人は、吉野の認知により、日本国籍を取得したと主張するところ、当裁判所はこの主張は理由があるものと考える。
国籍法二条一号にいう「出生の時に父が日本国民であるとき」とは、一般には、子の出生時において、日本国民である父との間に法律上の父子関係が形成されていることを意味し、子の出生後にされた認知の効果が出生時に遡及する結果、出生時に法律上の父子関係が形成されることとなるような場合は含まれないと解すべきであること及びその理由は原判決の説くとおりである(原判決書九枚目裏一〇行目から同一〇枚目表末行まで。)。
したがって、外国人を母とする非嫡出子が生来的に日本国籍を取得するのは、一般には、子が胎児である間に日本国民である実父から認知の届出があり、出生時において非嫡出子としての法律上の父子関係が形成されているというような場合に限られると解するほかない。
しかしながら、この解釈を貫くと、日本国民でない母が婚姻中の場合であって子が嫡出の推定を受ける場合には、生まれてくる子の実の父が夫以外の日本国民であっても、子の出生前に嫡出否認の訴えや親子関係不存在確認の訴えによって右推定を排除する途はなく、また実の父からの胎児認知の届出も受理されない扱いであるから、本来なら日本国籍を取得し得るはずの子であっても、子が生まれながらに日本国籍を取得する途が閉ざされてしまうこととなる。このような結果は、胎児認知が許される場合と比較すると、不合理な面があることは控訴人も主張するとおりである(もっとも、すぐ後にも判示するとおり、生来的な国籍取得はできるだけ確定的に決定されるべきものであるから、ここでの比較を単純に子の出生後の認知一般に及ぼすことには無理があり、控訴人の主張を全面的に是認するものではない。)。
確かに、国籍法二条一号の趣旨からいって、生来的な国籍取得は、出生時における法律的な親子関係に基づいて、できる限り確定的に決定されるべきものであって、遡及的な変更を避けるべきものであることは、先に判示したとおりであるが、この趣旨に反しないのであれば、解釈上一定の例外を認めることも許されてしかるべきであり、本件の場合に日本国籍を認めることは認知に遡及効を認めることになるとの理由によって直ちに控訴人の日本国籍の取得を否定する原判決の判断は、いささか結論を急ぎすぎる嫌いがある。
そこで、さらに検討してみるに、原判決も判示するように、行政の実例においても、実質的には子の出生後になって胎児認知の効力を認めて戸籍の記載をすることを是認する法務省民事局長の回答例がある(原判決書一一枚目裏三行目以下の判示参照。)。この回答例は、原判決の説示するとおり、きわめて例外的な事例における取り扱いではあるが、子の日本国籍の取得に関する国籍法二条一号にいう「出生の時に父が日本国民であるとき」との要件の解釈につき、子の出生時において、日本国民である父との間に既に法律上の父子関係が形成されていなければならないとする原則に対する例外を認める余地があることを示唆する点で、無視できないところである。そして、本件のように、嫡出の推定が否定された時から戸籍法四九条に定める期間内に認知届がなされているような場合と、前記の回答例の場合とを比較すると、その間に実質的に大きな隔たりがあるとは考えられず、本件の場合に限って国籍法二条一号の趣旨に反するとする実質的根拠に乏しいというべきである(被控訴人は、回答例の場合は、子が出生するまでは嫡出の推定を受けるかどうかが確定しないから、胎児認知の届出自体は受理せざるを得ない場合であり、胎児認知の届出を受理した以上は、嫡出子であることを否定する裁判が確定した時に子が遡及的に嫡出子としての身分を失い、結果として胎児認知が有効となるとの考えに基づくものであり、本件のような場合とは異なるという。しかし、国籍法二条一号につき前記のような解釈を厳格に貫くのであれば、子が出生した時点で嫡出の推定を受けることが確定すれば、先の胎児認知の届出は無効となると解すべきはずであるのに、そうはしないで、後に嫡出子であることが裁判によって否定されるかどうかを待って処理する点で、出生時に国籍が確定されるべきであるとの基本的な思想に例外を認めるものであることには変りはない。)。そして、本件のような、これまた極めて例外的な場合、すなわち特別の事情があって子の出生前の認知届はないが、嫡出が否定された時に接着した時(嫡出子であることが確定した裁判によって否定された時から本来の出生届の期間内)に新たな出生届と認知届出があった場合に限っては、国籍法二条一号の要件を満たすものと解しても、認知による遡及効を一般的に認めるものではないから、国籍が長期にわたって不確定なものとなる恐れもないといえる(むしろ、本件のような場合にまで認知の届出による日本国籍の取得を認めないとすると、それまで嫡出子とされたことによって有しているはずであった日本国籍が否定されることになって、かえって不安定になるともいえる。本件のような事例にあっては、適法な期間内の出生届と認知届があることを要件としてこれまでの国籍を確定的に維持しうるものとする方が国籍の確実性を確保することにもなるといえる。)。本件の場合には、控訴人の日本国籍の取得を認めて差し支えないと解される。
被控訴人は、このような解釈を許すと仮装認知の恐れがある等の理由を挙げて反論するが、同じような危惧は婚姻中でない母から出生した子の場合には常に生じ得ることであるから、適切な反論とはいえないし、認知の届出をする父の悪性を強調し過ぎるものであって、当裁判所の賛同できるところではない(被控訴人のいうような恐れがあるのなら、それはそれで別途の立法的な手当をする等の対応策を考えるのが本来の筋道であろう。)。
二 以上のとおりであるから、控訴人の本件請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由があり、これを棄却した原判決は取消を免れない。
よって主文のとおり判決する。
(裁判官 上谷清 田村洋三 曽我大三郎)
原審判決の主文、事実及び理由
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一原告の請求
原告が日本国籍を有することを確認する。
第二事案の概要
本件は、日本国民である父と大韓民国(以下「韓国」という。)国籍を有する母の婚姻中に懐胎した原告について、右父との間の親子関係不存在確認の審判確定後、日本国民である実父が認知をしたため、原告が、被告に対し、出生又は認知により日本国籍を取得したとして、右国籍の確認を求めて提訴した事案である。
一 当事者間に争いのない事実及び証拠(甲一号証)により認定できる事実
1 日本国民である篠瀬幸夫(以下「篠瀬」という。)と韓国国籍を有する裴仙和(以下「仙和」という。)は、平成元年三月二八日、婚姻したが、平成二年六月ころから別居し、平成四年一一月四日、協議離婚の届出をした。
2 仙和は、平成三年ころ、日本国民である吉野博昭(以下「吉野」という。)と知り合い、篠瀬との婚姻中である平成四年九月一五日、原告を出産した。
3 平成五年六月二日、篠瀬と原告との間に親子関係が存在しないことを確認することの合意に相当する審判(以下「本件審判」という。)が確定した。
同月一四日、仙和は原告の出生届を、吉野は原告の認知届を、それぞれ東京都江戸川区長に対して提出し、右各届出が受理された。
二 争点
本件では、本案前の争点として、本件訴えは、法定代理人により適法に提起されたものか否か、また、本案の争点として、原告は、国籍法二条一号にいう「出生の時に父が日本国民であるとき」に該当し、日本国籍を取得したか否かが争われている。
この点に関する当事者双方の主張の要旨は、次のとおりである。
1 本案前の争点(本件訴えは、法定代理人により適法に提起されたものか否か。) (一) 原告の主張
原告は、後記のとおり、篠瀬の嫡出子として出生したこと又は吉野から認知されたことにより、日本国籍を取得したから、原告の法定代理人については日本民法が適用されるべきであるところ、同法八一九条四項、五項によれば、非嫡出子の親権は、母が単独で行使することになる。
したがって、本件訴えは、単独で代理権を行使し得る法定代理人によって提起されたものであるから適法である。
(二) 被告の主張
原告は日本国籍を取得しておらず、韓国国籍を有するから、原告の法定代理人が誰であるかは、法例二一条に基づき、母と子の同一の本国法である韓国法によって判断すべきところ、韓国民法九〇九条四項は、婚姻外の子が認知された場合には、父母の協議で親権を行使する者を定める旨規定しており、父母の協議が成立するまでは、父母が共同親権者であるとみなされる。
したがって、仙和が単独で原告を代理して提起した本件訴えは、訴訟要件を欠き不適法である。
2 本案の争点(原告は、国籍法二条一号にいう「出生の時に父が日本国民であるとき」に該当するか否か。)
(一) 原告の主張
(1) 原告は、篠瀬と仙和の婚姻中に懐胎した子であり、出生時において、篠瀬の嫡出子としての推定を受け、篠瀬との間に法律上の親子関係が存在していたのであるから、日本国籍を当然に取得したものというべきである。
そして、本件審判が確定しても、出生後の身分関係の変更によって、本人の意思にかかわらずに国籍を喪失させるのは相当ではないから、原告が出生時に取得した日本国籍には影響がないというべきである。
(2) 仮に、原告が、(1)の理由により日本国籍を取得していないとしても、次のとおり、吉野の認知により、右国籍を取得したというべきである。
すなわち、被告は、国籍法二条一号にいう「出生の時に父が日本国民であるとき」とは、出生時に子と日本国民である父との間に法律上の親子関係が存在することをいうものであり、国籍法上出生後の認知には遡及効は認められない旨主張する。しかし、原告は、篠瀬の嫡出子としての推定を受けるから、原告の実父である吉野は、原告に対し、胎児認知をすることができず、本件審判が確定して初めて認知をすることができたものである。そして、法務省民事局長による回答例には、嫡出推定が及ぶ期間内は胎児認知の効力が生じないが、親子関係不存在確認の裁判ないし嫡出否認の裁判が確定した後に、先になされた胎児認知の効力を認めるなど、実質的には認知に遡及効を認めているのと同視できるものがある。このように、吉野が原告を胎児認知をしようにもできない本件においては、認知に遡及効を認め、「出生の時に父が日本国民であるとき」に該当するというべきである。
(二) 被告の主張
(1) 子に嫡出の推定が及ばない場合、子とその母の夫との父子関係の成否は、自然血縁関係の存否という懐胎の時点で確定している客観的な事実に基づいて判断されるところ、親子関係不存在確認の裁判が確定した場合には、嫡出否認の裁判が確定したときと同様に、出生時において、子とその母の夫との父子関係が成立していないこととなる。
そうすると、原告は、出生時において、法律上の父を有していなかったものと解すべきであるから、篠瀬の嫡出子として出生したことをもって日本国籍を取得したということはできない。
(2) 国籍法二条一号にいう「出生の時に父が日本国民であるとき」とは、出生時に日本国民である父との間に法律上の親子関係が存在することをいうものであり、婚姻をしていない日本人男性と外国人女性との間に出生した子は、子が胎児である間に父が認知をしていない限り、同条同号には該当しないこととなる。同法三条も、父母の婚姻及びその認知により嫡出子としての身分を取得した子で二〇歳未満の者は、一定の要件を満たす場合に限り、法務大臣に届け出ることによって日本国籍を取得できる旨を規定しており、出生後日本国民から認知されただけでは、日本国籍の取得を認めていない。
本件において、吉野は、原告に対し、胎児認知をしていないから、原告は、出生により日本国籍を取得したものではなく、韓国国籍を有する母の非嫡出子として、韓国国籍を取得したというべきである。
第三争点に対する判断
一 本案前の争点(本件訴えは、法定代理人により適法に提起されたものか否か。)について
1 未成年者は、法定代理人によってのみ訴訟行為をなし得るものであるところ(民事訴訟法四九条)、未成年者である原告について誰が法定代理権を行使すべきであるかは、親子間の法律関係に属するものであるから、法例二一条によって決せられる。そして、同条は、右法律関係の準拠法を定めるための連結点として、国籍を用いる旨規定しているため、準拠法を決定するに当たっては、まず、国籍法に基づき、原告の国籍を確定しなければならない。
ところが、本件においては、本案の争点として、原告が日本国籍であるか韓国国籍であるかが争われているから、原告の請求の当否が確定しなければ、法定代理権の準拠法も定まらないこととなる。この場合において、原告の主張に基づいて日本国籍を基礎にして準拠法を定めること、又は、被告の主張に基づいて韓国国籍を基礎にして準拠法を定めることは、いずれも、本件訴訟の結果によらなければ確定しない国籍を前提とするものであるから、妥当ではないといわざるを得ない。また、原告の請求の当否が確定するまでは法定代理人がない場合又は法定代理人が代理権を行使できない場合に当たるともいえないから、特別代理人を選任する必要があるということもできない。
しかしながら、本来、法定代理権は、訴訟行為を有効に行うための要件であるから、本案の帰趨を待たなければその存否及び内容が定まらないというのは相当ではなく、当該訴訟において実体上の判断をするための前提として、法定代理権を行使すべき者を定めなければならないというべきである。
2 そこで、検討すると、本件のように訴訟の結果によらなければ法定代理権を行使すべき者の範囲が判明しない場合においては、暫定的に、当該訴訟において実体上の判断をするための前提として、また、その限りにおいて適正に法定代理権を行使し得る者を定めることが許されるというべきである。そして、そもそも未成年者は法定代理人によってのみ訴訟行為をなし得る旨が定められたのは、訴訟行為が複雑かつ技術的な性質を有するものであることから、未成年者の権利保護を図ろうとしたものであることにかんがみれば、未成年者の権利保護を適切に図り得る者をもって、右の法定代理権を行使し得る者として取り扱うことができるものというべきである。
右のような観点からすると、原告の実母である仙和は、日本法によっても韓国法によっても、原告の親権者であり、実質的に原告の権利の行使を確保し、その保護を適切に図り得る者であり、韓国法によれば共同親権者であるとみなされる吉野が、本件訴えの提起について格別の異議をとどめているとの事情がうかがわれない本件においては、本件訴えの提起について、仙和をもって単独で代理権を行使し得る法定代理人として取り扱うことに格別の支障はないというべきである。
したがって、仙和によって提起された本件訴えは、適法であるというべきである。
なお、一般論としていえば、出生届、外国人登録済証等の記載による原告の表見的な国籍である韓国国籍を基礎にして準拠法を定めるとする考え方も、いかなる基準によっても原告について法定代理権を行使すべき者を決し難いような場合には、一つの取り得べき考え方といえなくもない。しかしながら、本件において、仙和をもって単独で代理権を行使し得る法定代理人として取り扱うことに支障がないことは前記のとおりである上、原告についての右表見的な国籍は、韓国により公権的に認められたものではなく、日本の関係行政庁の判断に基づく記載にすぎないものであり、しかも、右判断内容が誤りであるとして日本国籍の確認を求めている本件訴訟の内容にかんがみれば、本件において、右の考え方を採用することは、必ずしも合理的であるとはいえないものというべきである。
二 本案の争点(原告は、国籍法二条一号にいう「出生の時に父が日本国民であるとき」に該当するか否か。)について
1 まず、原告が、篠瀬の嫡出子として出生したことにより、日本国籍を取得したか否かについて検討する。
(一) 法例一七条によれば、子の出生の当時における夫婦の一方の本国法により子が嫡出であるときは、その子は嫡出子とされるところ、嫡出否認の訴え(日本民法七七五条)や親子関係不存在確認の訴えに係る判決によって父子間の親子関係が否認された場合には、その子は、出生時において日本国民である父の子ではなかったことになるから、出生により日本国籍を取得することはないというべきである。
ところで、原告は、篠瀬と仙和の婚姻中に懐胎した子であるから、篠瀬の本国法である日本民法七七二条においても、仙和の本国法である韓国民法八四四条においても、いったんは嫡出子としての推定を受けることになるが、その後、確定判決と同一の効力を有する本件審判(家事審判法二三条、二五条三項)が確定したことにより、原告は、出生時において篠瀬の子ではなかったことになる。
そうすると、原告は、出生時において、法律上の父を有していなかったことになるから、日本国籍を取得していないというべきである。
(二) これに対し、原告は、出生時から本件審判が確定するまでの間は、篠瀬が原告の法律上の父であったものであり、生来的な国籍取得に関して、原則として認知に遡及効を認めないのと同様に、本件審判という出生後の身分関係の変更によっては、原告がいったん取得した日本国籍の得喪に影響を及ぼさない旨主張する。
しかしながら、本件審判は、篠瀬と原告との間において、出生時における親子関係が存在しないとの法律関係を客観的に確定するものであって、出生後に当該親子の身分関係に変更をもたらすものではないのであるから、この場合と、出生後に実父の意思により法律上の親子関係を形成する認知に遡及効を認めるかどうかの場合とを、同一に論じることは相当ではないというべきである。このことを実質的にみても、出生時において、子が生来的に日本国籍を取得するのは、日本国籍を有する父又は母との間に生理的血統関係があることを基礎とするものであるところ、本件審判の確定により、およそ篠瀬と原告との間の生理的血統関係が否認されることになるから、原告には日本国籍を取得する基礎がないものといわざるを得ない。
したがって、原告の右主張は、採用することができない。
2 次に、原告が、吉野の認知により、日本国籍を取得したか否かについて検討する。
(一) 国籍法二条一号にいう「出生の時に父が日本国民であるとき」とは、子の出生時において、日本国民である父との間に既に法律上の父子関係が形成されていることを意味し、子の出生後にされた認知の効果が出生時に遡及し(法例一八条、民法七八四条)、その結果、父子関係が形成されるような場合を含まないというべきである。
その理由は、次のとおりである。すなわち、出生による国籍の取得は、その性質上、出生時において確定されるのが相当であるし、国籍法の規定をみても、旧国籍法(明治三二年法律第六六号)五条三項は、外国人たる非嫡出子に認知による日本国籍の取得を認めていたが、現行国籍法は、これを削除していること、同法三条は、準正による国籍取得について、準正(父母の婚姻及び認知)という身分行為だけではなく届出を要するとしていることなどに照らすと、同法は、認知の効果が遡及しないことを前提としているものと解すべきだからである。
そうすると、非嫡出子が生来的に日本国籍を取得するのは、子が胎児である間に実父から認知され、出生時において、既に非嫡出親子関係が形成されている場合に限られることとなる。
ところが、本件において、吉野が原告の認知をしたのは原告の出生後であることについては当事者間に争いがなく、原告の出生時に、吉野と原告との間に法律上の父子関係が形成されていなかったことは明らかであるから、原告が、日本国籍を取得したということはできない。
(二) これに対し、原告は、子が嫡出の推定を受ける場合には、子の出生前に裁判により右推定を排除することは不可能であり、実父からの胎児認知届は受理されないから、このような事情がある場合には、原告の国籍取得について、認知に遡及効を認めるべきである旨主張する。
確かに、胎児認知(民法七八三条一項)は、生まれてくる嫡出でない子に生来的に法律上の父を与える身分行為であるところ、篠瀬の嫡出子としての推定を受ける原告は、嫡出否認の訴えや親子関係不存在確認の訴えに係る判決の確定によって父子関係が否認されるまでは、篠瀬の嫡出子として取り扱われるのであるから、吉野が原告に対して胎児認知をすることはできない。
しかしながら、前記のとおり、生来的な国籍取得は、出生時における親子関係に基づいて、できる限り確定的に決定されるべき性質のものであるところ、国籍取得に関し、認知に遡及効を認めると、子の国籍は父の認知があるまで不確定なものとならざるを得ないことになり、相当ではない。このことは、たとえ胎児認知をすることができなかったという事情がある場合においても変わりはないといわざるを得ない。
したがって、原告の右主張は、採用することができない。
(三) また、原告は、実質的には認知に遡及効を認めているのと同視できる法務省民事局長による回答例がある旨主張する。
しかしながら、甲八号証の一及び二によれば、原告が指摘する回答例は、子が父母の離婚後三〇〇日以内に出生し、その後、子と母の前夫との間の親子関係不存在確認の裁判や嫡出否認の裁判が確定した場合に、先になされた胎児認知届の効力を認めたものであり、いずれも、胎児の出生後でなければ、嫡出の推定を受けるか否かが確定しないため、胎児認知届を受理せざるを得ないという事情の下で、右各裁判の確定により、子が嫡出子としての身分を失い、結果的に、有効な胎児認知があったとされたものである。そうすると、右回答例をもって、国籍法二条一号の適用に関して、認知に遡及効を認めたものということはできない。
そして、本件においては、原告は篠瀬の嫡出子としての推定を受け、原告の出生前に、裁判により、右推定を排除することは不可能であるため、吉野からの胎児認知届を受理することはできないことは前記のとおりであり、右回答例とは事案を異にするものであるから、これと同様に論じることができないことは明らかである。
したがって、原告の右主張は失当である。
三 よって、原告の請求は理由がないから、これを棄却することとする。